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季節はずれの夏休み in Zarzis/Tunisia
寄稿: 植澤 晴夫
第九回 ベルベルの古都を訪ねて
さあ、今日はいよいよ古代ベルベル人の古都へ出かけるぞーっ!
朝6時に起き、急いで着替え、しかし朝食はゆっくり摂って、慌ただしく7時丁
度にランドローヴァーで出発。
我々、急造ベルベル探検隊はアラブ人の運転手を入れて合計7人。今日一日、この車
を借り切ってチェニジア南部の荒野や古い町々を探りに行く!
アブドォール、通称アブさんは、この探検ツアーの運転手をもう30年もやってい
る猛者である。見たところ、大きく落ち込んだ眼窩の中にある大きな目を細くして、
口髭を生やし、ふくよかな角張った顔立ちの真中には大きな高い鼻をそびえ立たせ
た、典型的なアラブ人、しかもエジプト系のようにお見うけできる。そっくり返るの
ではないかと心配するほど、分厚い胸を張って立派に歩く。
よっ、大統領!今日一日、よろしく頼んまっせ!
私の今日の旅行の目的地はCheniniなので、他の探検報告は簡単にさせていただ
く。そうでないと、私の人生がこのレポートの為に大幅に短くなってしまう可能性が
大である。それほど、このチェニジア南部の歴史の旅、アラブ・ベルベル民族の旅は
奥が深くて窺い知れない………なんて、それは言い訳で、実はChenini以外は殆ど車
の中で寝ていたんです。すんません。
旅のルートは、Zarzisから「塩の海」に沿ってBen Gardaneまで。そこから舗装
された道路ではなく、荒野にある「道であろうと思われる道」を延々と走り
Tataouineまで。途中、荒野では羊の群れやラクダの群れなどが井戸のある所で休ん
でいる光景を見た。
それからDouiret経由で目的地のChenini到着である。ここまでで半日かかった。
ここで「古代ベルベルの山の棲み家」を見学。そしてここで昼食のクスクスを食べて
から、山の中にある町々をまたあちこちより道をしてBeni Kheddache−Medenineへ。
この道程では、山の中にある、建物がアリの巣のようになっている古い街跡(14世紀
頃)や、今は使われていない昔の共同食料庫(Ksarと呼ばれる)など、今まで見たこ
とも無い珍しい建物を見学。そしてかなり大きな街のMedinineで、市場を訪ね買い物
をした。そしてここからあとは一直線にZarzisへ。
帰ってきたのが18時半。およそ400km、11時間半の長旅であった。
あー、寝疲れだ!
運転手のアブさん、我々に付き合いながらよう走ったわ。荒野ではデコボコ道をス
ピードを上げてトランポリンやってるみたいに車の中で跳ね上がりながら、もう実に
楽しそうに。一般道路では高速道路並みのスピードでアラブ音楽を聞きながら、自ら
も口ずさみ体をくねらせて、結構一人でエンジョイしてたなあ。
さて、それでCheniniである。ここには昔ベルベル人が住んでいた岩山がある。
赤い土と泥灰岩・砂岩・石灰岩からなるこの巨大な石の塊の山には、螺旋状の頂上へ
続く道があり、その道に沿って岩をくり貫いて家屋が造られている。柔らかい地盤の
ために、今はあちこち崩れ落ちてしまっている。昔日の面影は、もうすでに無い。
この岩山は、昔やってきたイスラム教徒に抵抗したキリスト教徒が、最後まで立てこ
もって玉砕にいたったところである、と言い伝えられている(だけである?)
岩を掘って造られている、ある家屋に入ってみた。
錠の付いた扉を開けると、意外やその扉は玄関であった事に気がつく。入ってすぐ左
が煮炊きする所、小道が続いて右に物置、正面は寝室、左の奥が居間になっている。
3人が生活できるスペースだ。面白いのは寝室で、土間の奥に獣皮や布を敷いた一段
高くなっている岩敷きがある。そこで寝るわけだが、面白い事にその向こうにまだも
う一つ奥の部屋がある。これがなんと貯蔵庫・金庫である。これは自分の財産を守っ
ている番人、という図ではないか。まるで、ユダヤ人がいたのではないか!と思わせ
るに充分である。
入ってみると、勿論真っ暗で明かりをつけないと何も見えないのだが、とても寒い。
震えるくらいに寒いのである。スペースは二畳分くらいか。置いてあるものは着物や
毛皮、食料品など。(勿論、これは観光客用においてあるだけなのだが)説明による
と、天然の冷蔵庫として機能していたそうだ。なんとぜいたくな。でも、この同じ時
代に日本にも冷蔵庫を持っていた王族がいたなあ。先年話題になった長屋王だ。
彼は8世紀の日本で氷室と言われる天然の冷蔵庫を持っていて、驚いた事に果実酒を
飲み、煮詰めたヤギの乳(チーズではないか!)をツマミにしていた事が出てきた木
簡(正確な漢字はわからないが、とにかくいろいろな事が記述されている木片。)か
らわかった。これがテレビでニュースになった時、私は非常にショックを受けた。し
かし、日本ではなんと「そりゃ面白い」、だけで終わってしまうから、私はまたまた
ショックを受けることとなる。とにかく、この長屋王をどうしても日本人とは思え
ん。いったいどこからやって来たの、あなた?
話が横道にそれたが、ここにいた住人、なかなか優雅な生活をしていたようだ。
この岩山にある道を登りながら数多くの居住跡を見て考えた。これが追われて
逃げた人たちがたどり着き、抵抗の拠点としたところなのだろうか?600軒ほど
あったというから、2000人近くが住んでいた事になる。私の頭の中は、これは絶
対におかしい、という考えでいっぱいになった。そもそもここにいた住人はベルベル
人とわかっているのに、キリスト教徒だったからイスラムに追われて逃げてきた、と
いう話が歴史にそぐわない。ベルベル人はそもそもローマ人によってキリスト教に改
宗させられた時だって、もともと大きな軍備なんか持っていない人々であったから、
抵抗なんかあまりしていないのである。イスラム教を持ってアラブ人が入ってきた時
だって、彼等の入ってきた目的が歴史上では質の高いオリーブ油と胡椒が欲しかった
からだ、とわかっている。アラブ人は結局海岸線を制し、今でも昔から殆ど同じ所に
とどまっているではないか。政策としてイスラム教を推し進めてきたと言う事
はあっても、武力によってでは無かった筈だ。私の頭の中はくるくると回りだし、今
にも卒倒してしまいそうだ。辛うじて踏みとどまり、また考えた。紀元前3000年
くらいにベルベル人がこの地へ入ってきたといわれているが、たしかその当時は海岸
線が40〜60mは高かったはずだ。ZarzisからCheniniまで走ってきて地形はずっ
と平坦であった。地形を見ると大きな河が流れていた事を窺わせる跡が見て取れる。
古代より人間が居着くところは、飲み水のあった川のそばで、しかも魚が取れる海の
そばが理想であった事からすれば、つまりこのCheniniは当時海岸からはそんなに離
れてはいなかったのではないか。別に逃げてきてここまで着て住みついたのではな
く、もともと古代よりここに住み着いていたんだ、きっと。
アラブ人がイスラム教を持って入りこんできた時に、自分達の都合の良いように話を
作り上げたのではないか。どうもそう考えられる。私には、この遺跡はものすごく古
くからあるように感じられる。
今聳え立っているモスクの下にはきっと古代ローマ人によるキリスト教会がたってい
たはずだし、さらにその前にはBC600年にやってきたユダヤ教のシナゴーグが。
もっと前にはフェニキア人が持ってきた神殿、さらにそもそもはベルベル人の自然信
仰の聖なる場所であったに違いないのである。
と、ここまで考えて私の頭はようやく一応の決着を見て安心し、急にお腹が空い
てきた。
じゃあ、この国を代表するスクスク、じゃ無くってクスクスでも食べに行っか。
*環状列石・ストーンサークル?
どうも気になることが一つ。
岩山に上る入り口は気をつけてみると、物凄く古くゆかしい道であることが見て取れ
る。これは当時相当な高い文化を持った人々がこの道を作ったのではなかろうか、と
思わされる。古さは以前いったことがあるギリシアのパルテノン神殿の入り口に相当
する。その入り口に入る前のまだなだらかな斜面になっているところに夥しい数の
石塚があった。これはすこし注意してみないとわからないかもしれない。一緒にいた
人達はいったい何を見てるんだか、誰も気がつく者は無かった。これは車で走って
いる時にも見たけれど、荒野に時々規則正しく10〜15cmくらいの細長い石を
一列に、もしくはバラバラに立ててあるところが何ヶ所かあった。いったいなんだろ
うかと気になっていた。石を立てる習慣のある人々が居る(のか、居た)のである。
ここの石塚はどうもお墓のようだ。各々大小の差はあるものの、1.5mx3mくら
いの楕円形に小さな石が並んでおり、頭と足のあたりと思しき所に10cm〜15c
mくらいの細長い石が立てられている。その形が完全に残っているものは無くて、よ
く見ないとわからないかもしれないが、目が慣れてくるとはっきり見て取れる。一体
いくつあるんだろう。夥しい数だ。中には物凄く大きいものもあって、それは楕円で
はなく円形に近い。しかも石も大きい。これを見ていて、我が故郷の秋田県で見つ
かっている環状列石を思い出した。うん、確かに似ている。私の胸はざわめいた。し
かし、これはもっとちゃんと比較しなければ何とも言えない。
これが墓で、しかもイスラム教徒のものであれば、火葬をしない彼等であるから
墓はほぼ人間よりやや大きめで、頭はメッカの方に向いているはずだ。大きさは肯け
るものの方角はちょっと見当がつかない。聞こうと思ってもアブさん、どこへ行った
んだか見当たらない。あとでメッカの方向を教えてもらったが、今度は墓の立ててあ
る石の方向がわからなかった。ドジだなあ。
これは、あとでモスクにあるお墓を見に行って参考にしよう。
案内のベルベル人とは見えない人が、フランス語でしかもほんのちょっとだけ説
明する。こちらが仏語をわかる人を介して質問をしても、さっぱり要領を得ないのに
は頭に来た。チップなんか絶対あげるもんか!
また、家内が持っていたドイツ語の観光案内の説明書もひどい。何にも説明なんか書
いてない。この土地については、あまり良くわかっていない?などと、クーッ、頭に
来るなあ、もう。こんなもん捨てちゃおうっと。
というわけで、手元にこれといった資料が無いので行き当たりばったり、空想・妄想
の世界になってしまいました。お許しあれ。ご批判甘んじて受けますので、その旨ご
連絡ください。よろしく。
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