ュニジア旅の ークル


チュニジア旅行記
寄稿: 越崎 健司

3月16日(日)  ネフタ−ラルーシ家

 早朝1時に目が覚めると激しい吐き気に襲われた。ちょうどお酒を飲み過ぎたとき のようだった。それから6時間ほどほとんど眠れずずっと苦しんだ。吐こうかとも思 ったが、体力を一気に消耗しそうだったしトイレもそんなにきれいでなかったので、 ひたすら耐えた。変な病気にかかったのだろうか・・・。なんでこんなところでこん な目に遭わないといけないんだ、苦しい、苦しい、誰か助けてくれ・・・。何度か旅 行してきて初めて旅行中に日本に帰りたくなった。

 体調は最悪だったが約束通り9時にラルーシ家を訪ねた。早朝のことを話すと、布 団を敷いて寝かせてくれた。そのとたん、脚に痛みと震えがきた。このときになって 初めて自分が激しく疲労していたことに気付いた。石の家の中は陽射しの強い外と違 い涼しくて信じられないほど快適だった。私はそのまま昼まで眠ってしまった。昼に はスパゲティをいただき、テレビを見ながら話をしたり小さな子と遊んだりしていた らどんどん時間が過ぎていった。結局ハズーアに行くのはやめてしまった。そんなこ とより、疲れが限界近くまでたまっていた私にとってラルーシ家の人たちのやさしさ は文字どおり心にしみて、この時間を大切にしたかった。彼らと話していて、明日は 何時に来るの?なんて言われると、また明日も来たくなってしまう。でも、こんな時 こそ別れる強さを持たないと。別れを告げ一緒に写真を撮ってから、私は日本語で歌 を歌った。必死で涙をこらえていたのに、途中でおばちゃんが抱きしめてくれて、我 慢できなくなってしまった。ドゥーズ行きのルアージュに乗ってからも、おじさんと おばさんがルアージュが出るまでずっと待っていて見送ってくれた。彼らのあまりの やさしさに私はただただ感激するだけだった。

 ラルーシ家の人たちと話して印象に残ったことを記しておく。私は、砂漠には私と 生活のしかたも考えも違う人たちがいて彼らからカルチャーショックを受けるだろう 、と思っていた。それは全くの思い違いであった。ラルーシ家の人たちといてわかっ たのは、砂漠気候とは言っても彼らにとっては日本で言う冬の北海道のような一気候 でしかないことだ。確かに気候は厳しいがそこの人々は別に普通の文化人なのだ。そ れは、残念でもあり、うれしくもあった。

  • チュニジアではイスラム教の習慣は守られているものの、女性の自由は法律によっ て認められている。フランスから入ってくるテレビや雑誌の影響も大きいらしい。だ から普通の服を着ているし私のような男性を家に入れても問題ない。ただし、いまだ に女性が市場に行くときには黒い布をかぶるし、一人で海外に行くなんて考えられな いそうだ。それは伝統でしかたない、と言っていた。

  • 教育はフランスの影響を受けているそうだ。高校の物理の教科書を見ると、私が大 学でやったことが載っている。英語の教科書は全て英語で書かれていて、この家の高 校生の女の子はアラビア語とフランス語に続く3つ目の言語として高校から英語を習 い始めたというのに、平気で話せる。一緒に話していると私なんかよりよっぽど 頭がいいように思えてくる。しかし、長女のオリファは、ある先生がお金を要求して きたが親にそんなこと言えず、大して寝ずに勉強したのに彼に単位をもらえず留年し たそうだ。彼女は、この国では授業料も寮費も安いから大学に行くつもりだと言って いた。こんな地方の砂漠の町々にもしっかり高校があって教育制度がしっかりしてい るのに、賄賂なんかを要求する教師がのさばっているとは、なんたる奇妙なことか。

  • ここの父親は病院に勤めていて月の給料が約280TD(32000円)だそうだ。私はチュニ ジアの物価が高いと感じていたので、もっと多いと思っていた。彼らの話ではレスト ランやホテルが高いわけで、市場で食材を買って料理すれば安く済むそうだ。

  • アルバムを見せてもらうと特別なときにプロが取った物ばかりでカメラがまだ普及 していないことが分かる。写真屋で大きな紅葉の写真を背景にして撮った写真なんか を見ると、やはり自然への憧れがあるのかな、と思う。

チュニジア旅行時、1TD(チュニジアンディナール)≒ 113円 、$1≒ 124円。時差 は8時間。
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