ュニジア旅の ラブル集

  本当は、自分たちの最初の旅の失敗談のみにしようと思ってつくったコーナーでした。が、残念ながら、チュニジア旅行でトラブルにあったという声がみなさんの中からいくつか聞かれました。これも情報が少ないことが原因のひとつだと思います。これから、行く人のためにもあらためてトラブル集のコーナーをつくることにしました。思い出したくないことかもしれませんが、これから行かれる方々のためにみなさんの情報をお待ちしています。

INDEX...

読者からの投稿より
  • サハラ・ツアーでのトラブル Part2 (98年5月)New!
    えぐい話が続きますが、下のツアーでの被害に似ています。男性でも決して油断はできないということですね。実際、フランス語のガイドブック、Le Guide de Routard には、ホモセクシュアルが多いので注意するように、と書いてあります。
    とにかく言えるのは、海外に出たら自分が日本人の代表であることを考えて行動すべきだということ。それから、ここで登場するガイドたちも厳しくとりしまらないと、まじめにガイドしている人たちにも迷惑がかかると思います。


  • モスク全景に1200円? (98年5月)New!
    この話は、チュニスでもケルアンでもあります。モスクの全景を見せてお金をとるものです。なぜか必ずカーペットやですが・・・注意しましょう。

  • チュニスで50ドルとられる (98年4月)New!
    日本人を狙ったものでしょうか。手口やホテルなどの場所にも特徴があるので、これからチュニスに行かれる方は気をつけましょう。

  • 女性旅行者のサハラツアーでのトラブル (97年10月)
    ゲストブックに投稿していただきましたが、みなさんからも大きな反響がありました。そこで、ゲストブックにいただいたいろいろなご意見も一緒に掲載します。


92年の最初の旅からトラブル集

 最初のチュニジア旅行(92年1/4〜1/18)はほんの偶然からだった。数週間のスペイン旅行を終え、ニースへ着いた私と友人Eはアルジェリアへ行くことを計画していた。しかし、アルジェリアへ行くにはビザが必要であり、そのために時間も必要だ。それなら、チュニジアはどうだろう、というような単純なことだったと思う。ニースの旅行代理店でチュニジア行きの往復航空券を入手。フランス語の詳しいガイドブックを購入し、私たちはチュニジアに上陸してしまった。フランス語もろくに分からなかった当時の私たちはまさに辞書を片手にそのガイドブックだけをたよりにして旅をしたのだ。かなり無謀だったとも思うが、全くの先入観も無くチュニジアと触れ合うことが出来たのも今思えば幸運だったといえるかもしれない。





チュニスで電話をかけたときのこと・・・唯一の金銭トラブル


 まず、首都チュニスに着いた私たちは、すぐに南下することを決めた。チュニスから夜行バスに乗り、南の砂漠にもっとも近いであろう街、ネフタへ行くことにしたのだ。ネフタの情報は例のガイドブックにも少ない。バスが出るのは21時ごろ、何時に着くのか見当もつかない。とりあえず、ガイドブックから伝統的なチュニジア風スタイルのホテル、マルハラを選んで電話で予約を試みることにした。
 電話は郵便局のなかのPTTでかけられる。たくさんのブースがあり、大勢の人が待っている様子。そこで、一人のチュニジア人の男が話しかけてきた。どこから来たの?電話したいの?私たちが事情をはなすと、男は、自分がアラビア語で予約してやる、といいだした。親切そうなその男の様子に私たちは油断してしまった。とりあえず、私がそのホテルへ電話して、拙いフランス語で用件を伝えると、男がその後、アラビア語で用件を伝えた。(伝えてるように見えた。)その間、男は私たちにもっと1TD(当時 約150円)を入れろ入れろと合図を送る。なんせ、数百キロもあるのだから、大分電話代もかかるのだろうと思っていた私たちは言われるままにあわてて数枚の硬貨を渡した。それにしてもやけに長い。その後、男はすぐに電話を切った。これで大丈夫だよなんて言いながら。そして、男はもう電話するところはないの?と私たちに聞き、ないことをしると、自分がそのままそこで電話をかけ始めた。「ちょっとまっておつりは?」ときくと、この電話ではおつりはでない、という。そこではじめてだまされていたのに気づいた。電話なんてとっくに切れていたのかもしれない。私たちはわざと露骨に怒って見せたが、後の祭り。どうすることも出来ず、電話局を後にした。すると、しばらくしてさっきの男がまた追って来るではないか。けろっとした顔で「あとは困ったことはないの?」なんていいながら。全く腹立たしい。
 たった数百円のことではあるが、チュニジアではけっこうな金額である。電話するときには充分注意されたし。


夜行でネフタへ到着。えっ、ここはどこ?


 ネフタ行きの夜行バスは順調に目的地まで飛ばしていた。私たちは混み合った社内で寒さに耐えながらもやっと浅い眠りについたところだった。とその時、バスがどこかで停車した。辺りは真っ暗闇、街らしきものも見えない。私は自分の耳を疑った。運転手はどうやらネフタと叫んでいるようだ。まだ明け方の4時頃である。私たちは慌てて荷物をもって外に出た。他には降りる人もいない。
 外へ出てみても何一つ見あたらない。明かりも建物も。バスの明かりだけである。途方に暮れる私たちを見て運転手も心配気な表情を浮かべた。ホテルの載ったガイドブックの地図を見せると、「向こうへまっすぐいけばいい。」と教えてくれた。向こう?彼の指さす方を見ても道らしきものなど見えなかった。
 バスが行ってしまうと、残るはうっすらとした月明かりのみ。街はいったいどこにあるんだ、なんてぶつぶつ言いながらも、言われた方角へと進むしかなかった。人も通らず、街灯もない。遠くからは野犬の遠吠えがぶきみに響く。
 しばらく歩くと、幾つかの高級ホテルが見えてきた。といっても、だれも起きてる様子はない。しんと静まりかえっている。その中の一つの敷地内で、焚き火らしきもの見えた。鼠男のようなマントを着た男たちが火をかこんでいる。その中の一人が私たちに気づき、こちらへやってきて何やら叫んだ。後から考えれば、ホテルの警備員が呼び込みでもしていたのだろうが、その時は恐くてそれどころではなかった。私たちは彼等を無視して足早にその場を去った。
 目的のホテルは街のはずれにあった。閉まったドアを必死でたたくと、中からホテルの人が現れた。「今日の予約をしている・・です。」彼は眠そうながら、嫌な顔もせずに哀れな私たちに部屋を与えてくれた。  何はともあれ、予約をしていて良かった。その時は心からそう思った。
 夜行バスが着く時間には充分注意しましょう。それから、冬場のチュニジアの夜は結構冷え込む。特に夜行バスの中は眠れないほど寒かった。ホテルもたいてい毛布一枚しか用意されないので、寝袋がとても役に立つ。天気は比較的よかったけれど、気温は日中も余りあがらないようだ。防寒着を用意していった方がいいだろう。



砂丘がみたかったのに・・・


 ネフタへ着いた私たちの目的はただ一つ、サハラの砂丘を見ることだった。しかし、車がなければ砂丘まで行くのは難しい。まずは、街にある観光局のようなもの(サンディカ)へいって聞いてみた。そこで薦められたのが、車をチャーターすることだったが、余りにも高くて問題外。でも、馬車なら一人10TDで借りられるという。背に腹は代えられない。次の日の朝、馬車を借りて砂漠へ行くことにした。
 次の日の朝、馬車が私たちをを待っていた。馬車と言っても馬一頭に木製の荷車のようなものを引かせたかなり簡素なものだった。素朴な感じの中年の御者の男が案内役も兼ねている。どうやら、その車で遠出は無理のようだ。結局、その馬車は砂丘ではなく、この辺りでは有名な塩湖へ連れていってくれた。
 途中、男はなつめやしの林の中へ私たちを案内した。その林の中の一角に椰子で出来た小屋がある。そこには、・・さんというあやしげな老人が座っていた。その老人はもったいぶった様子で、木の柄杓を手にとると、私たちに何やらあやしい飲み物を勧めた。どうやら、椰子のお酒と椰子のジュースのようだ。甘いだけでおせじにもあまりおいしいと言えるものではない。しかたなくちょっとだけいただくと、その後、御者の男が老人にお金を払ってやれと言ってきた。既に 大金を渡していた私たちは憤慨し、小銭がないのでこれしか払えないと言って言われた額の10分の1を差し出した。すると、それまで、厳かな雰囲気を醸し出していた老人の形相が一気に変わり、冗談じゃないと怒りだした。結局、御者の男がしようがないよとかなんとか言って、老人をなだめ、我々3人は逃げるようにその場を去ったのだった。老人はこうして、観光客からお金を取って生活しているらしい。その馬車の男もいつもそこへ客を案内しているようだった。
 その後、馬車は本格的に塩湖へと向かった。湖と言っても水は枯れて全く無い。見渡す限りの砂漠である。地面は白い塩におおわれ、ところどころ乾燥してひび割れていた。背の低い草がぽつぽつと生えているだけで他には一面なにもない。男は、好きなだけ居ていいから終わったら声をかけてくれといい、自分は荒れた古いモスクの前で祈りを捧げ始めた。イスラムの祈りの時間なのだ。男がぐるぐると円を描いて回ったりしながら、静かに祈りを捧げている間、私たちはじっと砂漠を見ていた。東京での慌ただしい生活が夢のように思えた。
 1時間ほど居ただろうか、後はまっすぐ街へ戻った。本当のサハラ砂漠は見られなかったが、考えてみれば砂が無くても砂漠は砂漠である。高い買い物をしたと後悔しながらも、今となれば不思議な経験をしたように思う。



有名な塩湖(Chott el Jerid)


 
チュニジアの男たち


 チュニジアに着いたその日から、チュニジア人の男性はトラブルの素だった。女二人で旅行したことを何度後悔したことだろう。一人でも男の人が居たら・・・、とも思った。
 チュニスでは道を尋ねたおじさんにしつこくつきまとわれ、突き放すのに苦労した。
 街を歩いていると、「じゅんこ」とかなんとか、適当に日本人の名前を叫ぶ男あり。何事かと振り返ると、やけに愛想のいい若い男が日本人のじゅんこという友達がいる、といって話しかけてきた。君たちはどこからきたの?お茶のまない?等々が次に続く。なんぱの手である。(これは万国共通か。)
 ネフタでは、砂丘に行きたいと話したとたん、バイクでつれていってあげるという男が現れた。かと思うと次には車で連れていってあげるというものもあり。みんな口先では調子のいいことを言う。が、実際はそんな気などなく、結局は私たちの気を引きたいだけなのだった。とにかく、うるさい。
 カイルーアンではカフェでお茶を飲んでいるところへ突然、流ちょうなフランス語とドイツ語を使う男が話しかけてきて、今夜一杯飲みに行かないか、と誘う。イスラム教では飲酒を禁止している。普通お酒は飲めないはずだが。ツーリストの多いホテルでは酒も手に入り、チュニジア人もそこでは普通に飲むらしい。
 考えてみたら、チュニジアではごく自然に女性と出会うことが難しい。南の街、ネフタでは若い女性の姿を見かけることはほとんどなかった。どこにいるのかと不思議に思っていたら、夕方街の外から大勢の女性達がぞろぞろと帰宅しているようすを見かけた。街のはずれのダット工場で働いているという話だった。男性達が私たちに声をかけたり、暇そうにカフェにたむろしたりしている間、女性はずっと働いていたのだ。
 大都市では大分状況は違っているらしい。チュニスで出会った若い男性は、「南なんか行くもんじゃない。南には秩序がないから。」と平然と言っていた。それは全く違うと思うが、チュニスの大学生達は女性とデートもするし、お茶をのみにも行くらしい。
 いいかげんチュニジア人の男性にうんざりしていた私たちは、ジェルバ島で偶然一人旅の日本人男性に出会った。旅行中初めて会った日本人に互いに感激し、夕御飯を一緒に食べる約束をした。彼は私たちに会えてとても嬉しそうなようすだった。詳しく話を聞くと、男性一人旅の彼は私たちとは全く対照的な旅をしていたらしい。言葉も通じず、楽しい出会いもなく、もちろんチュニジア男に声をかけられることもなく、彼のチュニジア旅行は順調ながら、たのしい といえるものでも無かったのだ。さて、どっちがいいのだろうか、考えてしまった。
 とにかく、女性旅行者は覚悟しておいた方がいい。それでも、3度目の女3人旅はそうした男性をあしらうすべもわきまえ、しごく順調でとても楽しく過ごせた。心構え次第で、大分違うものである。